外科医が不要になるとき外科医はどうする?
「人は皆いつか一生を終える」と同じくらいはっきりと「医学の進歩で手術は不要になる」という瞬間はいつか来ると感じています。ちょっと悲しかったり不安な気持ちもあったので、幕末に武士として活躍していた人に想いをはせてみました。剣術が不要となったと同時に多くが命を落とした新撰組に所属しながらも、時代の変化に合わせてキャリアチェンジを果たした齋藤一のような武士もいました。その違いはなんであったのでしょうか。
斎藤一に学ぶ新たな時代の生き方
幕末の激動期において、多くの武士たちがその職務を全うし命を落としました。彼らはその時代に必要とされた剣術の技術を持ちながら、新しい時代の波に飲まれ、生き延びることができませんでした。しかし、その中で一際異彩を放ち、新しい時代にも順応し活躍し続けた人物がいます。それが斎藤一、またの名を藤田五郎です。彼の生き様は、変化の激しい現代においても私たちに多くの教訓を与えてくれる気がします。
斎藤一の適応力と柔軟性
斎藤一は、新選組の三番隊隊長として名を馳せましたが、明治維新後には藤田五郎と名を改め、東京府の警察官として新たな人生を歩み始めました。彼は、旧来の武士道精神を持ちつつも、新しい時代に必要なスキルを身につけ、その柔軟性を持って新政府に貢献しました。さらには、北海道で農業に従事し、地元の学校で剣術を教えることで地域社会に貢献しました。
このように、斎藤一は変化する時代に対して適応する力を持ち、常に自分の役割を見つけ出すことに成功しました。
外科医としての新たな時代への適応
現代においても、医療技術は急速に進化しており、将来的には手術が不要になる時代が訪れるでしょう。外科医としては寂しいですが、すべての病気が薬剤的加療で根治できるようになれば、外科医の役割は大きく変わります。その中で斎藤一の教訓を生かすこともできるでしょうか。
- 継続的な学びとスキルの多様化: 斎藤一が新政府の警察官として新しいスキルを身につけたように、外科医もまた新しい医療技術や知識を積極的に学ぶことが重要なのかもしれません。医療の分野は広範であり、診断技術、予防医学、リハビリテーションなど、さまざまな分野に目を向けてスキルを多様化させることが必要です。最近の免疫チェックポイント阻害薬をからめた周術期治療には全くついて行けていないので内科の先生のお知恵をお借りしながらです!( ; ; )
- 社会への貢献と新たな役割の発見: 斎藤一が北海道で農業に従事し、地域社会に貢献したように、外科医もまた地域社会や患者に対して新たな貢献の方法を見つけることが求められます。たとえば、健康教育や予防医療の推進、地域医療の向上に貢献することで、新たな役割を果たすことができるかもしれません。
- 心のケアと患者との関係の重視: 薬剤的加療が進む時代においても、患者の心のケアや心理的サポートは依然として重要です。AI時代にこそホスピタリティーや人としての温かみは重要でしょう。先日も外来で忙しい中でも要所要所ではしっかりと時間をとって説明するとポストしていた方がいました。外科医は、患者との信頼関係を築き、心身の健康を総合的にサポートする役割を担うことができます。このような人間関係を重視する姿勢は、斎藤一が新選組時代に示した仲間への忠誠心や信頼感に通じるものがあります。
- 本質を見失わないこと: 外科手術も自分がやりたいからでなく誰かの役にたつためにやっているはずです。今の状況においても患者のためやチーム全体の利益のためを常に考える姿勢が大事なのかもしれません。自分自身もついつい自身が手術がうまくなりたい!という気持ちがはやるので誰のための技術かいつも忘れないようにしたいです。(自戒)
亡くなっていった幕末の武士との比較
斎藤一の成功と比較して、近藤勇や沖田総司のような幕末の武士たちは、新しい時代に適応できず命を落としました。もちろん沖田は自身の病に倒れたと見ることもできます。健康はいつの時代も大切ですね。彼らはその勇猛さと忠誠心で称賛されましたが、変化する時代に適応する柔軟性を持ち合わせていませんでした。この違いが、斎藤一が新しい時代でも活躍できた理由の一つなのでしょうか。
まとめ
外科医にとって、斎藤一の生き方は調べていて参考になりました!時代の変化に対して柔軟に適応し、継続的な学びとスキルの多様化を図り、社会に貢献する新たな役割を見つけ出すことが重要なんでしょうか。患者との信頼関係を築き、心のケアを重視する姿勢も欠かせません。または外科手技+αなにか強みがあるといいのかもしれませんね。幕末に文化、芸術、政治で活躍した方もいます。
今頑張っていることが将来無駄にはならないと信じて若い人が外科手技の向上に励むことができますように!
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